待避所
 
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人物殿

木村和志

日本リーグ時代、彼の敵になれるような人間は
いなかった。
よく独特の曲がりながら落ちるフリーキック
が話題になるが、彼のプレーはシステムに縛り付けられておらず、
所謂自由人だった。

日産の監督がオスカーになったとき、彼の最初の
試練がやってきた。
システムに合わないという理由もあって、ベンチを暖める時期が続く・・・
それでも移籍しなかったのは、日産のユニフォームにプライドを持っていたからだそう。

しかし冷静に考えると、
当時の日本サッカーの背景を加味した上で言えば、
いくら彼ほどの選手でも移籍先は如何だったか?
よく日本一のチームは読売だが、
日産には勝てないと言われていたし、
事実そうだった。

Jリーグが出来て
マリノスになってからも彼が試合に出れば
何かおこるという雰囲気がスタジアムを漂っていた。
ただ、当時のマリノスは強かったが、その中でも彼が飛びぬけていた事で
試合中に不可解なミスが沢山出た。
このころの彼は、システムにも合わせる術を
獲得していたようだが・・・
現在は、パサーだ、ドリブラーだといわれるが、
彼はそういうことに当てはまらなかった。
強いていうなら、サッカー選手である。

日本には未だに木村和志以上の選手はいないと
引退するときに言わしめたのは有名な話だ。

現在は、いちサッカー解説者で、
いつも面倒臭そうな表情でジャージを着ている。
面倒そうなのにも理由があるらしい。
これにも実は彼がワクワク出来る選手がいない、
自分のほうが凄かった・・・等。

もし後10年、遅く生まれていたら・・・
ということを自身が言っていたが、
それでも状況は変わらなかっただろう。
但し、オフトジャパンに彼が加わったら、最強の
布陣が出来ていたと思う。

サッカーに愛された男は、政治には愛されなかった。
どんなに素晴らしいプレーをしても、
所詮は、アジアの小さな国の一選手である。

余談だが、アノ時代にも関わらず、
ブラジルでは彼は結構有名である。



9月21日(火)08:30 | コメント(1) | 人物殿 | 管理

三浦和良

日本にJリーグを創らせた人。
その後、紆余曲折を経て、現在も1サッカー選手。

王様である。
オフトジャパンの時の彼は本当に輝いていたと思う。
監督がファルカンになっても然り・・・

加茂監督のとき、彼はスランプといわれた。
スランプだ、もうカズはダメだ。
世間では、こんな記事ばかりだった。

本当にスランプだったのか?と言いたい。
元より走り回るタイプではないし、運動能力も他の選手と比較してもそんなに高くはない。
ゴール前で恐ろしい速さで反転してシュート。
若しくは、一世を風靡したカズドリブル・・・
生粋のCFであるにもかかわらず、MFもこなせる。

本当にスランプだったのか?
当時の中田のパスは、味方にとっても苦労するものだった。
速く硬い、スペースへ出すパス・・・
柔らかく優しい小野のスペースへ出すパスと比べると解かると思う。
勿論、DFを切裂く為であるし、足首の硬い中田には
そういったパスがあっていた。

後にトルシエ監督になったとき、FWは彼にあう
選手で埋められた事からも解かる。
優れた人は他にもいたが、走れる人間、中田にあう人間で埋められた。

当時のW杯予選、カズの得点は世界で2位だった。
しかも殆ど個人で取ったような点だ。

にもかかわらず、そのことは話題にならなかった。
中学でブラジルに渡り、有名チームを転々と助っ人のようなスタイルで渡り歩き、あのサンパウロFCでキャプテンを務めたこともある男である。

あれだけスランプだと騒がれたり、高校生との練習試合では
『凄さは感じない、まったく速くない』
とか言われていた男が、当時世界で2番目の
得点を挙げていた。
誰よりも結果を出した男が言われたのは、
『名前だけの選手』
である。

当時、中田は王様だった。
カズも王様だった・・・・・
どんなチームにも、王様は二人は要らない。

現在も彼は大好きなサッカーを続けている。
年齢とともに練られてくるものもあるが、
いつかは、若さに対抗できなくなるときが来る。
ジーコさん、その前に一度で良いから彼をW杯に
連れていってやって欲しい・・・
勿論、無理は承知。
お情けで言っているのではなく、
一度で良いから彼をW杯で暴れさせてやって欲しい。

しかし日本という国は、スポーツで貢献した人には不遇としか言いようがない。



9月20日(月)10:18 | コメント(0) | 人物殿 | 管理


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